1990年代
2000年『三文役者』新藤兼人監督
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
荻野目慶子 出演者
私の役は新藤兼人監督が創立した近代映画協会のメンバーとして、40年近くも監督の映画作りに参加された殿山泰司さんの第二婦人「側近のキミちゃん」と呼ばれる役だった。
現場のスタッフは長い間新藤監督の仕事に携わってこられた方ばかりだった。
新藤監督には無駄がない。
余計な言葉もなく、モタモタしだすと待ちきれないように手がトントントン…と動き始める。
テストも少なくすぐ本番になる。
それもほとんど1テイクで、数秒たりともフィルムを無駄にされない。
殿山さん役の竹中直人さんのことを怒鳴ったり殴ったりし続けた役だったが、通常なら確実に撮り直しとされる場合でも、そこにエネルギーがあればOKとされる。
お食事されるのも早く、ちょっと談笑されたかと思うと「さて」と腰を上げる。
新藤監督のお体を考えて撮影時間は朝9時から夕方5時までと決まっていたが、いつも予定より早く終わった。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
荻野目慶子 出演者
私の役は新藤兼人監督が創立した近代映画協会のメンバーとして、40年近くも監督の映画作りに参加された殿山泰司さんの第二婦人「側近のキミちゃん」と呼ばれる役だった。
現場のスタッフは長い間新藤監督の仕事に携わってこられた方ばかりだった。
新藤監督には無駄がない。
余計な言葉もなく、モタモタしだすと待ちきれないように手がトントントン…と動き始める。
テストも少なくすぐ本番になる。
それもほとんど1テイクで、数秒たりともフィルムを無駄にされない。
殿山さん役の竹中直人さんのことを怒鳴ったり殴ったりし続けた役だったが、通常なら確実に撮り直しとされる場合でも、そこにエネルギーがあればOKとされる。
お食事されるのも早く、ちょっと談笑されたかと思うと「さて」と腰を上げる。
新藤監督のお体を考えて撮影時間は朝9時から夕方5時までと決まっていたが、いつも予定より早く終わった。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
1990年代
松竹1995年『写楽』篠田正浩監督
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
小倉一郎 出演者
フランキー堺さんの製作総指揮で『写楽』は完成したが、そこにこぎつけるまでにフランキーさんは30年という年月を費やした。
『写楽』の構想はもともとフランキーさんの師匠に当る川島雄三監督の遺志を継ぐものだった。
川島監督は1963年に芝の日活アパートで亡くなったが、生前フランキーさんに「次回作は写楽だから君も勉強しておきなさい」と言い残していたそうだ。
川島監督は写楽の資料を広げた机につっぷして死んでいたという。
フランキーさんは御自分の構想を何人かの脚本家に話して脚本を依頼したが、うまく行かなかった。
出版社の人に勧められて、自分で『写楽道行』をお書きになった。
だが映画『写楽』は結局皆川博子さんの原作で作られた。
だからこの映画には川島監督は登場しないし、フランキーさん御自身も写楽ではなく蔦屋重三郎の役をおやりになった。
30年の歳月が経ってしまい、この映画はフランキーさんの当初の考えとは変わったものになってしまったのは事実だが、ともあれ完成にこぎつけられたフランキーさんの感慨はひとしおだったろうと思う。
フランキーさんはこの映画のために1億5千万円の私財を投入されたのだ。
『写楽』完成とフランキーさんに紫綬褒章受章を祝うパーティーが帝国ホテルで開かれた。
フランキーさんがドラムを叩き、佐野史郎さんがエレキギターを弾き、真田広之さんがベースを弾いた。
この時ばかりは若手人気俳優の二人もすっかりアガっているようだった。
佐野さんなどはギターのボリュームを上げるのを忘れていたくらいだ。
「なぜボリュームを上げなかったの?」と聞くと、佐野さんは「手が震えちゃって」と笑った。
二人ともこういう経験はめったにないことだから、とても喜んでいた。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
小倉一郎 出演者
フランキー堺さんの製作総指揮で『写楽』は完成したが、そこにこぎつけるまでにフランキーさんは30年という年月を費やした。
『写楽』の構想はもともとフランキーさんの師匠に当る川島雄三監督の遺志を継ぐものだった。
川島監督は1963年に芝の日活アパートで亡くなったが、生前フランキーさんに「次回作は写楽だから君も勉強しておきなさい」と言い残していたそうだ。
川島監督は写楽の資料を広げた机につっぷして死んでいたという。
フランキーさんは御自分の構想を何人かの脚本家に話して脚本を依頼したが、うまく行かなかった。
出版社の人に勧められて、自分で『写楽道行』をお書きになった。
だが映画『写楽』は結局皆川博子さんの原作で作られた。
だからこの映画には川島監督は登場しないし、フランキーさん御自身も写楽ではなく蔦屋重三郎の役をおやりになった。
30年の歳月が経ってしまい、この映画はフランキーさんの当初の考えとは変わったものになってしまったのは事実だが、ともあれ完成にこぎつけられたフランキーさんの感慨はひとしおだったろうと思う。
フランキーさんはこの映画のために1億5千万円の私財を投入されたのだ。
『写楽』完成とフランキーさんに紫綬褒章受章を祝うパーティーが帝国ホテルで開かれた。
フランキーさんがドラムを叩き、佐野史郎さんがエレキギターを弾き、真田広之さんがベースを弾いた。
この時ばかりは若手人気俳優の二人もすっかりアガっているようだった。
佐野さんなどはギターのボリュームを上げるのを忘れていたくらいだ。
「なぜボリュームを上げなかったの?」と聞くと、佐野さんは「手が震えちゃって」と笑った。
二人ともこういう経験はめったにないことだから、とても喜んでいた。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::





