昭和60年代
松竹1986年『離婚しない女』神代辰巳監督
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出演者 倍賞千恵子
『離婚しない女』で、妹倍賞美津子と共演することになった。
北海道・根室を舞台に萩原健一さんを巡って私と美津子が扮する人妻同士の火花を散らす。
監督はポルノで有名な神代辰巳さんだ。
最初は乗り気でなかったが、「一度だけ会ってほしい」と頼まれ旅館の一室で会った。
神代さんはこたつから出て、「命懸けで撮ります。出演してください」と何度も土下座する。
熱意に押し切られて出演を決めた。
冬のオホーツク海を望む野付半島で美津子と対峙する場面。
雪が降らず、風も吹かず、撮影は丸一日がかり。
寒さに耐えながら、白い雪原で必死に美津子と取っ組み合った記憶がなんとも懐かしい。
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出演者 倍賞千恵子
『離婚しない女』で、妹倍賞美津子と共演することになった。
北海道・根室を舞台に萩原健一さんを巡って私と美津子が扮する人妻同士の火花を散らす。
監督はポルノで有名な神代辰巳さんだ。
最初は乗り気でなかったが、「一度だけ会ってほしい」と頼まれ旅館の一室で会った。
神代さんはこたつから出て、「命懸けで撮ります。出演してください」と何度も土下座する。
熱意に押し切られて出演を決めた。
冬のオホーツク海を望む野付半島で美津子と対峙する場面。
雪が降らず、風も吹かず、撮影は丸一日がかり。
寒さに耐えながら、白い雪原で必死に美津子と取っ組み合った記憶がなんとも懐かしい。
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昭和50年代
東映1978年『柳生一族の陰謀』深作欣二監督
東映1978年『赤穂城断絶』深作欣二監督
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高岩淡 東映社長
東映1978年『柳生一族の陰謀』深作欣二監督
撮影中には困ったことが起こりました。
深作欣二監督と錦ちゃん〔萬屋錦之介〕がことごとに対立するのです。
原因は深作監督の演出論と錦ちゃんの演技のぶつかり合い。
歌舞伎調の仰々しい演技を好む錦ちゃんと、実録風のリアルな演技を求める深作監督の考え方が合わないのです。
そんなわけで撮影中はいろいろと気をもみましたが、やはり最終的には一流の監督と一流の俳優。
お互いを認め合い完成へと至ったのです。
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出演者 岡田茉莉子
東映1978年『赤穂城断絶』深作欣二監督
萬屋錦之介さんが大石内蔵助、私はその妻〈りく〉を演じた。
監督は深作欣二さん、カメラマンはかつて松竹時代に私が主演した吉村公三郎監督『女の坂』の宮島義勇さんだった。
おそらく東映が誇る時代劇の最後を飾る大作だったのだろう。
それを象徴するような事件が起こった。
私は朝か扮装を整えオープンセットで出番を待っていた。
だが、なかなか始まらない。
助監督さんが来て、「カメラポジションのことで監督とカメラマンの意見が合わず、しばらく待機してください」と言った。
お昼の食事時間が過ぎても撮影の始まる様子もなく、私は食事をすることになった。
その時 錦之介さんがカツラを取って去って行く姿を目にした。
すると製作担当者が来て、「錦之介さんが東京に帰ってしまいました。撮影は中止です」と言う。
仕方なく私もいったん東京へ戻ったが、ようやく再開されたのは1カ月近く過ぎてからのことだった。
その間オープンセットは建てられたまま放置されていたのである。
私たちのような独立プロでは考えられない予算の浪費だった。
それは監督とカメラマンの個性の張り合いなのだろうか、あるいは大スターのワガママと言うべきなのだろうか。
ディレクターシステムで統率が取れていた松竹時代、私を大事に扱ってくれた監督たちのことが改めて思い出されてならなかった。
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東映1978年『赤穂城断絶』深作欣二監督
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高岩淡 東映社長
東映1978年『柳生一族の陰謀』深作欣二監督
撮影中には困ったことが起こりました。
深作欣二監督と錦ちゃん〔萬屋錦之介〕がことごとに対立するのです。
原因は深作監督の演出論と錦ちゃんの演技のぶつかり合い。
歌舞伎調の仰々しい演技を好む錦ちゃんと、実録風のリアルな演技を求める深作監督の考え方が合わないのです。
そんなわけで撮影中はいろいろと気をもみましたが、やはり最終的には一流の監督と一流の俳優。
お互いを認め合い完成へと至ったのです。
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出演者 岡田茉莉子
東映1978年『赤穂城断絶』深作欣二監督
萬屋錦之介さんが大石内蔵助、私はその妻〈りく〉を演じた。
監督は深作欣二さん、カメラマンはかつて松竹時代に私が主演した吉村公三郎監督『女の坂』の宮島義勇さんだった。
おそらく東映が誇る時代劇の最後を飾る大作だったのだろう。
それを象徴するような事件が起こった。
私は朝か扮装を整えオープンセットで出番を待っていた。
だが、なかなか始まらない。
助監督さんが来て、「カメラポジションのことで監督とカメラマンの意見が合わず、しばらく待機してください」と言った。
お昼の食事時間が過ぎても撮影の始まる様子もなく、私は食事をすることになった。
その時 錦之介さんがカツラを取って去って行く姿を目にした。
すると製作担当者が来て、「錦之介さんが東京に帰ってしまいました。撮影は中止です」と言う。
仕方なく私もいったん東京へ戻ったが、ようやく再開されたのは1カ月近く過ぎてからのことだった。
その間オープンセットは建てられたまま放置されていたのである。
私たちのような独立プロでは考えられない予算の浪費だった。
それは監督とカメラマンの個性の張り合いなのだろうか、あるいは大スターのワガママと言うべきなのだろうか。
ディレクターシステムで統率が取れていた松竹時代、私を大事に扱ってくれた監督たちのことが改めて思い出されてならなかった。
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昭和50年代
東宝1979年『病院坂の首縊りの家』市川崑監督
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出演者 草笛光子
市川崑監督の横溝正史シリーズでは、いつも貴重な経験をさせていただいた。
5作目の『病院坂の首縊ククりの家』の撮影で風鈴職人に扮した時は、市川監督から「唇がまだ草笛光子だなあ」と言われた。
それなら唇を隠しちゃおうと思い、マスクをつけて砂をかぶってみた。
その汚れた姿で仕事をしているところに探偵の金田一耕助が訪ねて来る。
話しかけられてマスクを外すと、顔中が誇りっぽい中で口の周りだけが白い。
黙ってやったことで怒られるかと思ったら、市川監督は怒らなかった。
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出演者 草笛光子
市川崑監督の横溝正史シリーズでは、いつも貴重な経験をさせていただいた。
5作目の『病院坂の首縊ククりの家』の撮影で風鈴職人に扮した時は、市川監督から「唇がまだ草笛光子だなあ」と言われた。
それなら唇を隠しちゃおうと思い、マスクをつけて砂をかぶってみた。
その汚れた姿で仕事をしているところに探偵の金田一耕助が訪ねて来る。
話しかけられてマスクを外すと、顔中が誇りっぽい中で口の周りだけが白い。
黙ってやったことで怒られるかと思ったら、市川監督は怒らなかった。
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昭和50年代
東宝1977年『獄門島』市川崑監督
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出演者 草笛光子
市川崑監督の横溝正史シリーズでは、いつも貴重な経験をさせていただいた。
3作目の『獄門党』では旅回りの女座長の役だった。
私は子供の頃、疎開先で見た旅回りの一座の芝居を思い出した。
女の役者が見えを切った時、口元が光ったように見た覚えがあった。
「そうだ、金歯を入れたらキラッと光っていいのかもしれない」
思い切って市川監督に提案してみた。
市川監督は「いいよ、やってごらん」と言って下さった。
私は歯医者さんに行って金歯を入れ撮影に臨んだ。
本番ではカメラの方が金歯を入れた側にうまく回って撮って下さり、光る金歯がよく映った。
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出演者 草笛光子
市川崑監督の横溝正史シリーズでは、いつも貴重な経験をさせていただいた。
3作目の『獄門党』では旅回りの女座長の役だった。
私は子供の頃、疎開先で見た旅回りの一座の芝居を思い出した。
女の役者が見えを切った時、口元が光ったように見た覚えがあった。
「そうだ、金歯を入れたらキラッと光っていいのかもしれない」
思い切って市川監督に提案してみた。
市川監督は「いいよ、やってごらん」と言って下さった。
私は歯医者さんに行って金歯を入れ撮影に臨んだ。
本番ではカメラの方が金歯を入れた側にうまく回って撮って下さり、光る金歯がよく映った。
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